2006年8月日光 PENTAX *istDS DA21mmF3.2


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8月。 夏の旅行シーズン。今年は鬼怒川に宿をとり、一泊二日の家族旅行となった。前日は日光江戸村を見学し、今日はいよいよ世界遺産・日光東照宮の拝観。宿から朝出発し、竜王峡をハイキングしてからクルマで日光山へと至った。神橋の袂に出て東照宮を目指す。土産物屋の駐車場に停めて参道へ向かう。砂と砂利の混じった広い広い参道は背の高い木々に囲まれて涼しい風が吹く。東照大権現の鳥居をくぐって表門前で拝観券を買う。大人1300円。いい値段だな。

入ってすぐに三猿の神厩舎。猿の前で記念写真を撮る人多数。三つ並ぶ神庫のうち中神庫は修理中だった。正面に陽明門。小学校の修学旅行で来て以来か。参道の石畳では通路として足りないらしく、玉砂利の上に木で補助参道が敷いてある。世界遺産登録後確実に参拝者が増えた事情が読み取れる。
絢爛豪華という表現が東照宮には当てられることが多い。ところが以前森山大道さんの写真を見たときにはそんな雰囲気は感じられなかった。モノクロで大きく切り取られた陽明門は重く沈んだトーンから浮かび上がるように描かれ、ポジティブな美しさとは無縁だった。ゾッとするような妖気を含んだ姿として表現されていた。

日本のバロックと美術史家は言う。たしかに簡素さで人びとを魅了する日本文化の特徴からはかなり離れた形式だと思う。過剰なまでの装飾。作られた当時は今以上にキンキンきらきらしていたのではなかろうか。なぜこれほどまでにバロック的な装飾が施されたのだろう。

眠り猫の門をくぐり石の廊下と階段を杉木立のなか進んでいく。ちょうど本殿の真北裏側に奥宮があり、東照大権現の墓所となっている。江戸時代はこの奥宮へ入ることの許された者は将軍様のみ。こうして拝観料さえ払えば誰でも入れる世になってまだそれほど経っていないという。

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見る人が見なければ見たところで「ふーん」で終わってしまう可能性は高い。信仰とは見たか見ないかにはたぶん関係ない。信じる人の心の問題だと思う。宗教施設としての東照宮と、美術的観光的施設としての東照宮がこうしてせめぎ合っている。

曇り空で涼しいとはいえ、階段を登ってきたので汗だくだった。竜王峡といい東照宮といい、今日は昇り降りする場面が多い。階段がすべて石で出来ているので、降りるときも慎重に。何人もビデオカメラを持った外人さんとすれ違う。皆さん非常に興味深い様子でレンズを向けていた。

本殿に上がり係の人のお話を聞く。 曰く、徳川家康公が戦乱の世を終わらせ、それ以降の近世256年間は戦のない世の中となった。これは世界史上ほかに例がなく、東照大権現様は平和の神様として祀られております、とのこと。なるほどそれはその通り。ただし、その平和が破られたきっかけは日本人自らが欲したわけではなく、大砲をぶっ放して脅す某国に開国を迫られたからだ。256年間日本人が平和に過ごす間、世界は大航海時代を経て帝国主義の時代に突入していた。日本はいきなり食うか食われるかの世界へ投げ出されることになった。食われる、とは、言わずもがな列強の植民地になるということだ。実際アジアの多くの国は列強によって植民地化されていた。艦砲外交を得意とする某国は今も昔も全くやり方を変えていない。

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 この東照宮の建築群は着工からわずか1年半の間に完成されたという。ものすごい突貫工事だと思う。それも幕府の権威を高める効果を果たしたものだろう。
それにしてもなぜ日光だったのか。風水的な意味から江戸の鬼門に東照宮を置いて守る意味があった、とも云われているが、高速道 路を使ってぶっ飛ばしても3時間かかる場所である。この場所に建てられたことの意味はなんだったのだろう。
 いずれにせよ、現代に至っても各地には各地を代表する観光地があり、その中心に神社仏閣が位置している確率は高い。
 係の人のお話は本殿の中の装飾や彩色に使われている岩絵の具へと進み、ほんの少し修理するだけで2万円くらい費用がかかることなどが説明される。最後にお守り販売の宣伝があって話しは終わった。

 陽明門から出て本地堂(薬師堂)へ進む。ここの天井は鳴龍で知られる。神仏習合の結果、鳥居をくぐった境内の中にお寺も入る。中には神将像が並ぶ。鳴龍最初の絵は薬師堂とともに焼失したため、堅山南風が復原した二代目。説明する方が打つ拍子木が天井と床で共鳴して”鈴のような鳴き声”に聴こえる。ここでも最後にお守り販売の宣伝があって話しは終わった。
 境内は飲食禁止。ちょうどお昼時に入ってしまい、娘はお腹減ったとなんども訴えていた。全部拝観終わり、参道を降りて先ほどクルマを停めた土産物屋の2階で昼飯を食べることにした。思っていたよりも東照宮が禁欲的な場所で、土産物(お守り)は売るが食べ物は一切売っていなかった。
 湯葉を使った定食が手ごろ価格だったので女房とワタシはそれを頼む。息子はカツカレー。娘はハンバーグライス。食べ終わって土産物を見てから14:30に帰路についた。

PENTAX *istDS DA21mmF3.2

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  今年の夏は天気が悪く、休日だろうが容赦ないのでなかなか出かけることもなかったが、8月に入ってから幾分天候も安定してきた。そう思いながら安心して今回も出かけたのだけど、さすが山間部だけあってずっと曇りか雨の天気だった。
今回竜王峡と日光を歩いた。意外にデジカメを持っている人は目立たない。ビデオカメラを持つ人が、特に外人さんに多かった。日本の方はケータイのカメラ機能(通称:写メ)で何でも撮っている様子をよく見る。三猿前ではケータイの砲列がズラリの光景があった。
観光地では何度か写真撮ってくれませんか、とカメラを手渡されたのだが、日本人の方は大型液晶画面を搭載した最新型デジカメだったのに比べ、外人さんからはちょっと前の1.5型くらいの大きさの液晶画面搭載型を手渡された。たまたまのケースかもしれないが、日本人は総じて新しいもの好きの方が多い気がする(自分も含めて)。
前回の箱根では512MBのSDカードを使い切ってしまった反省から、秋葉で1GBを買ってきて入れた。高速型でなければ2780円で手に入る。いずれすぐに2GBのカードがこの値段になってしまうのだろう。秋葉におけるムーアの法則はその達成度が異常に早い。
フィルムカメラでは撮影から実際の写真を見るまでにタイムラグがあった。デジカメなら撮ったその場で見ることが出来、プリンターさえ持ち込めば宿でプリントアウトだって可能になっている。もはやアタリマエの事となっているが、長くフィルムカメラを使ってきた者としては異常とも思えるせっかちさだ。この先一体どんなことが”便利”として発達を始めるのだろう。

2006年08月23日記

2016-01-08 | Posted in 甘露PHOTO日記Comments Closed 

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