交換会へ


晴れている。

今日は交換会へ向かう。オヤジも行くと行っている。最近張り切ってるなぁ。イヤな予感がしないでもないが・・・。

車中では今日も「翔ぶが如く」の続き。私学校内で西郷隆盛を交えて話し合いが持たれる。事実上の決起集会。ここで主戦論と戦争回避を模索しようという両意見が出る。戦争回避派は西郷隆盛と護衛の少人数で東京へ出向き、政府による西郷隆盛暗殺計画に付いて難詰するのが先だ、と主張。たしかに理にかなっており、一瞬戦争回避派は勢いづいた。が、薩摩ではそういう論理的な意見はむしろ疎まれる。普段はまったく喋らない篠原国幹は言う。「命が惜しいのか」。薩摩でこれ以上の言葉はない。全ての「理」はこの一言でなかったことに。
西郷隆盛はこの身は皆に預ける、という意味のことを言った。すでに火薬庫を破ったことで形勢は不利と見た西郷隆盛は私学校党とともに果てることを決意していたのかもしれない、と著者。

神保町。古書会館。交換会。入札していたらオヤジも来ていた。運送の手配をしてから古書会館を出る。昼飯。帰路。いつのまにかくもり空。

店に戻って荷造り作業の続き。いつもお買い上げありがとうございます。

どうも仕事中眠いと思ったら、昨夜はDVDでおそくまで「おおかみこどもの雨と雪」を観ていたんだった(^^;。宇多丸さんがラジオで喋っていたが、細田監督の作品には感想のメールが大量に届くんだけど、賛否がほぼ半々で、しかも大絶賛か酷評の両極端に分かれるんだとか。大絶賛はわかるけど、酷評はどうしてなのか。それはワタシにはよくわからないが、いずれにしろ、細田監督の作品には「感情を強く刺激する何か」が映画の根底に一見わからない形で含まれているのかもしれないな、と思った。だから”大好き”か”大嫌い”の両極端に振れるわけ。批評を超えたところに作品が存在しているかんじ。
もう何度も観ている作品だけど、今回もやっぱり感情を刺激される。それも、(わかりやすい)クライマックスのカーテンごしの告白シーンだけでもなく、なんでもない(ように描かれている)子どもたちの走り回るシーンでも。
一見”なんでもないシーン”も制作する段階ではなんでもないわけじゃないから、そこにはクライマックスシーンと同様に作家の魂が宿っている、はず。そういうシーンが積み上げられていき、”感情”の閾値を越えたところで一気にあふれだす。
それをウマイとみるかズルイと見るか。まあ、ズルイとしか思えないなら無理して細田映画を観なくてもいいんじゃないのかな(^^;?
でもね。”酷評”さえも細田監督は受容すると思うし、うれしいんだとおもう。それは、”酷評”しよう、ってリアクションする行動を観客がしてくれたから。”不快だ”って表明しようと行動してくれたから。それって作品が観た人にとってもう忘れられないものになっているってことなんだよね。
3966歩 2.37km 36分 201.5kcal 5.3g
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2015-08-27 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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