1日店


店舗定休日。
祝日なので少しゆっくり起きる。ゆっくり目の朝飯を食べ終わって仕事開始。荷造り作業を鋭意。いつもお買い上げありがとうございます。
午後はオークション出品作業。
先日聴き始めたポッドキャスト・i-morley。世界観がひっくり返るような話が続いていて、いったいどこまで信じたらいいのかな、と思いながら聴いている。今回はネイティブ・アメリカンの話。彼らの教えを授かった方がネイティブ・アメリカンの世界観について語る。
人間が”文明化”すると、自然界から切り離されるという副作用が生じる。文明生活に慣れると、かつて人間が自然に持っていた能力を失うのだという。それはたとえば、農作物と会話しながら環境に無理のない規模で農耕生活を持続させる、などの能力。環境に無理をさせて能力以上の作物を作らせると、いずれその土地で作物は成長しなくなるのだという。環境に無理をさせて余計に作物を生産する人は一時的に勢力を増すが、持続することができない。蓄えた富を使い、他の土地を奪おうと動き出す。その運動を繰り返すうちに文明化は進み、土地も集約化される。その一方で、環境に無理をさせない規模で農耕をしていた人たちの技術・能力・歴史は抹殺されていく。
土地の収奪・集約化と民族の文明化が世界規模で進み、もうこれ以上広げることができない、という地点を現在はすでに飛び越えてしまったのかもしれない。そもそも温暖化が進行して世界は人間が住めない環境に変化しつつある。
環境負荷を最小限に抑えた生活を送っていたネイティブの人たちは、世界的な”文明化”の流れに巻き込まれて、かつて持っていた”能力”を失いかけているという。記憶装置としてのネイティブはすでに少数派だ。我々は”祭り”の意味も酒やたばこがかつて持っていた”本来の役割”も知らない。
この番組の中で重要な指摘があった。日本にかつて住んでいた縄文人は律令制度が確立する紀元800年ころには、それこそネイティブ・アメリカンと同じような運命を辿ったのだという。巨木が立ち並んでいた列島の山の風景。それが、中央集権国家のシンボル・奈良の大仏と周辺の社寺建立のためにすべて切り倒されたのではないか、という。
信州・諏訪大社に残る御柱祭を岡本太郎氏が”縄文の祭り”と分析していたことを思い出した。日本のネイティブが残る数少ない例なのかもしれない。
となると、律令時代以前の日本はどんな風景だったのかなぁ。
9369歩 5.62km 69分 532.9kcal 24.9g
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2009-02-11 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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