会議


朝から雨。
今日は午後から横浜で会議。二週連続だが、先週とは別の集まりでの会議だ。だが、話し合う内容は根っこでつながっている。これ以上はこんなところには書けないが。
昨夜は夜8時には就寝してしまい、起きたのは8時。なんと12時間も睡眠した(!)。起きてすぐはちょっと腰が痛んで疲れた感じになっている不思議。寝るにも体力が要ると何かで読んだが、これがそれかしら。そもそも普段は12時間も寝ないので、こんな経験は初めて。
荷造り作業を鋭意。いつもお買い上げありがとうございます。連休の谷間。ちゃんと発送作業しております。大市会があるため、今日から1週間は通常市会がお休み。
早めの昼飯。食べながら島田雅彦氏のオペラ番組を見る。ヴェルディの「オテロ」について。オテロという名の戦争の英雄がイァーゴという部下に騙されて妻の不貞を疑い、ついには妻を殺害して自分も果てる、という物語。今回は島田氏の解説も面白く聞こえた。原作はシェイクスピアの戯曲だし、オテロがムーア人という設定まで考えると、いろいろな裏の意味も含まれている気がする。それにしても、オペラって必ず人が死ぬのね・・・。
東横線に乗って反町まで。車中では今日も「胡蝶の夢」の続き。長崎でポンぺは、病人が居る限り身分の分け隔てなく診察する、と主張した。現在の常識からすれば当たり前のことだ。ところが、封建制からすればそれは絶対に不可能な話だった。身分制を担保しなければ日本型近世幕藩体制そのものが崩壊する。医学に蘭方を入れるという意味は幕藩体制そのものの否定までつながっていくほど実は危険なことだった。
開国したのと同時期、各地でコレラが流行する。未だ細菌学のない世界を生きていた医師たちにとって、コレラは未知の死病だった。コレラに罹った良順はポンぺの処方した薬を飲み10日ほどで快方に向かったため、この処方を急ぎ刷って各地に流布させた。実際には症状を抑える対処療法に過ぎなかった。その処方を読んだシーボルトを師とする蘭方医・伊東玄朴は、部分的に間違っている箇所を指摘する。
伊東玄朴についての記述が続く。将軍家定が脚気で亡くなる時、蘭方医でありながら玄朴が城内に呼ばれた。漢方の医師が12時間で亡くなると診断。玄朴は48時間で亡くなると診断し、果たして玄朴の診断が当たった。これにより玄朴の城内での地位が確立し、奥医師に任ぜられる。漢方一辺倒だった幕府内で蘭方がとうとう地位を得ることになった。
9651歩 5.78km 84分 481.2kcal 17.0g
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2008-09-22 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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