クラシック~スカイ・クロラ


朝起きて晴れ。
今日から愛書会展。予報はくもりか雨だったはずだが、晴れて良かった(^^)。
オヤジは朝から古書会館へ行っている(はず)。ワタシは店で仕事する予定でいる。朝から荷造り作業を鋭意。いつもお買い上げありがとうございます。
今日は金曜日。ラジオのプログラムがイマイチなので、カラヤンのCDを流すことにした。まずは手始めにベートーベンから。第九、第五、第六と聴いていく。ワタシはもう何度も聴いているが、母親には新鮮だったようでたびたびひとり言を言いながら仕事する手も軽くなっているようだ。
音楽というものは、昔の記憶をサッとその人に蘇らせることがあるようで、母親は女子高生だった頃の思い出を話し出した。「自分の親は明治の生まれだから、家で音楽を聴くような習慣はなかった。それでも、普通にクラシック音楽を聴くことが好きだったから、演奏会に聴きに行ける機会があれば聴きに行く、レコード鑑賞する機会があれば聴いてくる。とにかく音楽に触れることが好きだった。」
”良妻賢母を育成する”と評判の地元高校に通っていた。授業でクラシックのレコードを鑑賞する機会があり、ベートーベンの「運命」を集会場で聴いた。そのあと、校長先生は生徒たちにこう言ったそうだ。「この曲の主題(タタタターンのこと)は”運命”が扉を叩いている音です。運命とはお客様のようなもの。予期せぬ時にもやってきます。いつ扉を叩かれても喜んでお迎えし、喜ばせたうえで送り出せるようにしていなければいけません。」・・・かなり独特な解釈だ。
あの頃はその言葉の意味はわからなかったけど、この歳になるとね、あの校長先生の言っていた言葉の意味もなんとなく分かるのよね。と母親。50年前に聞いた言葉が今も残っているのか・・・。
音楽は変わらない。あの時に聴いてわからなかったことが今ならわかる。母親には年月と経験が積もって、当時の校長先生の言いたかったことを自分なりに理解できるようになった、のだろうか。変わったように感じたとすれば、それは音楽(環境・世界)ではなく、自分が変化したことの証なのだ。世界は常に自分の中に存在する。
ドヴォルザーク、ブラームスと進めていく。カラヤンの演奏が冴える。いつもラジオを聴きながら仕事をしていると、つい居眠りしたくなるところだが、今日はそれが全くなく、ひさびさに冴えたアタマのまま仕事を続けることができた。
「やっぱりドヴォルザークもいいわね。」と母親。そんならまたかけますよ。
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ヴェネチア映画祭で話題の押井守監督作品「スカイ・クロラ」が見たくなった。
まだレイトショーの枠でやっているというので、あわてて川崎まで出かけることにした。少し早目の夕食を食べてチネチッタへ向かった。
100席余りの小さなスクリーンでの上映だったが、むしろ音響的には大きなスクリーンよりも効果が高いと思っている。予約を入れた時はまだガラガラの空席だらけだったが、いざ上映が始まってみれば見事満席だった。
ネタバレ気味に感想を。
ある空軍基地。パイロットが赴任する。今まで居たパイロットの補充という位置づけらしい。前任者から機体の引き継ぎを受けるのが普通だったが、前任者が居ない。そのことについて質問しても明確な回答がない。亡くなったのだろう、ということらしい。
基地内は妙に静か。犬の鳴き声と飛行機のエンジン音だけが響き渡る。戦争中なのでパイロットは任務として毎日のように出撃している。上空で敵機に遭遇すればそのまま空中戦だ。毎日が命のやりとりの連続。これ以上ないほどの”現実”と向き合う日々。の、はずだが、それもまた日常化する。閉じた世界。退屈な日常。
完全な平和が確立された世界。人々はその平和を実感するために「ショー化された戦争」を欲した。・・・これが大きな物語。空軍基地と思ったものは、実はこの擬似戦争を遂行する会社の所有物だった。
「ボクたちキルドレは歳を取らない。」ショー化された戦争に駆り出されたのが彼らキルドレたち。たまったものではない。彼らは死ぬまでこの閉じた世界の中で命のやりとりを強要される運命にある。同じ明日が死ぬまでやってくるのだ。
何かを変えたい。変えなければ生きていることを実感できない。続けるために作りだされた戦争。終わるはずのない戦争(自分の運命)に抵抗しようとして、最強の敵:ティーチャーに立ち向かってゆくパイロット・・・。その運命と結末。
現代日本への痛烈な批判だ。途中延々と続く退屈な描写は後半になってその意味がわかる。これ以上ない”現実”であるはずの戦争さえ擬似化されてしまった世界で、人は一体何に命を燃やせばいいのか。登場人物は皆浮かない表情で淡々と日常を過ごしている。そこに活気などない。彼らキルドレたちに唯一残された”現実”は死しかなかったのだ。キルドレは歳を取らないのではなく、歳を取れないのだった。
押井監督の言いたいことは何となくわかる。でも、このストーリーは救いがなさすぎないか?もちろん、この”救いのなさ加減”こそが現実なんだけど(^^;。
6066歩 3.63km 56分 288.5kcal 7.7g
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2008-09-05 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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