往復


晴れた。せっかくなので布団を干す。
荷造り作業を一渡り終えてから交換会に出かけた。車中では例の映画の本。まだ読んでるんじゃなくてもうどちらも3回ほど読み込んだ。本を読んで書かれている映画もDVDで3本見た。みな過去に一度見たものだったが、初めて見たような気がした。
映画は娯楽だった。今はまたハリウッドで作られる映画は娯楽作品になっている。ところが、世界が思想的に混乱していた70年代には娯楽じゃない映画もハリウッドで作られていた。いま繰り返し見ている「ブレードランナー」は80年代の作品だが、公開した時の売り上げは制作費の半分にも満たない惨憺たるものだったという。
ワタシはその頃中学生か高校生だった。まだレンタルビデオ屋が始まったばかりの頃。ウチにはまだビデオデッキはなかった。もちろん映画館へ足を運ぶこともほとんど無かった。
そんな頃、今でも繰り返し見たくなる作品が作られていた。娯楽じゃなければなんだ、と言われそうだが、ワタシ的に言えばアン・ハッピーエンドな作品、とゆるーく(かなりゆるいが)括れると思う。
映画が終わって、あーおもしろかった、と言いながら劇場を出る。これが娯楽作品。ほとんどのハリウッド映画はこの近代的展開で作られている。楽しめるから家族連れが劇場に入り興行的にも大体成功する。
ところが、監督の意図をそのまま作品に仕上げたものは必ずしも娯楽作品にはならなかった。その代表が「ブレードランナー」であり「未来世紀ブラジル」だ。どちらの作品もラストに救いがなく、一度映画会社に結末を変えられてしまった過去を持つ。
だが、この両作品を作った監督に言わせれば、世の中に救いがないんだからしょうがないだろう、ということになるんだと思う。
すべては進歩に向かって進んでいる、というのが近代(モダン)を支える物語。その進歩の果てには何が待っているのか、と心配するのがポストモダンだ。近代化を推進してきた世界が今ぶつかっている最大の問題が地球温暖化ではないのか。近代化の果てにバラ色の未来は待っていなかったのだ。
この本には随分示唆をもらった。映画の本のようでいて映画の向こう側にある監督の意図(世界観)まではっきりと透かして見せてくれた。そこには複雑な想いが隠されていた。スターウォーズやインディジョーンズで溌剌としたヒーローを演じたハリソン・フォードが、なぜ”どんな表情をしていいかわからない”デッカードで登場するのか。
それは”進歩”の果てを見せられたからではなかったか。
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2006-10-12 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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