竜王峡から世界遺産日光


旅館の朝。7時に目が覚める。
夜中はずっと雨が降っていた。雨粒が屋根を夜通し叩いていた。ポタンポタン、パラパラッというそのリズムがなんとなく心地よかったのか、気になることはなかった。
朝飯も部屋食。部屋は6人部屋だったから広くて良かった。食べ終わって早々に出発する。天気は曇りながらも雨は上がっていた。今日はまず竜王峡へ行ってみることにした。
クルマで鬼怒川を川治温泉方面に進んでいく。途中コンビニに寄って水を買っておきたい。ちょうどいい場所に大きな駐車場を備えたコンビニがあった。おおっと、珍しい建物が隣にあるぞ。おかめと天狗の看板も効いてる「鬼怒川秘宝殿」だった。熱海も有名だけど、鬼怒川にもあるんだね。これってやっぱり新婚旅行のメッカだった頃の名残なのかしら。
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すぐとなり竜王峡の駐車場は無料。みやげ物屋が軒を連ねる鳥居をくぐって急な九十九折の階段を降りていく。大きな滝が現れた。名前は虹見の滝という。竜王神社という立派な名前の神社が大岩の上にチョコンと座っていてなかなかのもの。虹見橋という素敵な名前の橋を渡り、整備された遊歩道を歩くことにした。
最初ぴょんぴょんと皆の先頭を歩いて「あしもとごちゅういくださーい」なんて調子よかった娘も、あたりが薄暗くて水気の多い場所を歩いているうちに心細くなってきた様子。湿地を飛ぶ大きなトンボを嫌がるなどかなりナーバスになってきた。20分ほどでむささび橋に到着。袂にある茶屋の椅子に座って一休みさせてもらった。
出発する。すぐ横に水芭蕉群生地なんてある。夏なのでもう大きな葉を茂らせていたから、あの水芭蕉のイメージではなかった(^^;。
深い緑の天井。湿気が多くひんやりとした空気。サンショウウオの生息地があったり、そこかしこから水が流れて鬼怒川へ小さな滝となって流れ込んでいる様子といい、山紫水明を地で行ってる場所だ、と思った。
ぐるっと峡を軽く一回りした格好。案外平坦な道を歩いて駐車場に戻る。気がつけば汗びっしょりだった。熱い空気でじっとりとかいた汗ではなかったのでむしろ気持ちいい。これぞデトックス。オヤジたちが山歩きにはまった理由はこんなところにあるのだろう。女房に背中を拭いてもらったり。さっき買った水は空っぽ。一休みのつもりでみやげ物売り場をしばし逍遥する。お土産に蕗味噌や湯葉を買う。子どもたちのリクエストで湯葉ソフトクリームを買って食べた。
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日光へ向かった。ウエスタン村のある交差点から裏道へ入る。
いわゆる広域農道。あたり一面田圃風景。もう8月も終わるというのに垂れ下がる穂はほとんどない。そのど真ん中を走る車はウチのほかになかった。専用道のつもりで快走。神橋の袂に出て東照宮を目指す。土産物屋の駐車場に停めて参道へ向かう。砂と砂利の混じった広い広い参道は背の高い木々に囲まれて涼しい風が吹く。東照大権現の鳥居をくぐって表門前で拝観券を買う。大人1300円。いい値段だな。
入ってすぐに三猿の神厩舎。猿の前で記念写真を撮る人多数。三つ並ぶ神庫のうち中神庫は修理中だった。正面に陽明門。小学校の修学旅行で来て以来か。参道の石畳では通路として足りないらしく、玉砂利の上に木で補助参道が敷いてある。世界遺産登録後確実に参拝者が増えた事情が読み取れる。
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絢爛豪華という表現が東照宮には当てられることが多い。ところが以前森山大道さんの写真を見たときにはそんな雰囲気は感じられなかった。モノクロで大きく切り取られた陽明門は重く沈んだトーンから浮かび上がるように描かれ、ポジティブな美しさとは無縁だった。ゾッとするような妖気を含んだ姿として表現されていた。
日本のバロックと美術史家は言う。たしかに簡素さで人びとを魅了する日本文化の特徴からはかなり離れた形式だと思う。過剰なまでの装飾。作られた当時は今以上にキンキンきらきらしていたのではなかろうか。なぜこれほどまでにバロック的な装飾が施されたのだろう。
眠り猫の門をくぐり石の廊下と階段を杉木立のなか進んでいく。ちょうど本殿の真北裏側に奥宮があり、東照大権現の墓所となっている。江戸時代はこの奥宮へ入ることの許された者は将軍様のみ。こうして拝観料さえ払えば誰でも入れる世になってまだそれほど経っていないという。
見る人が見なければ見たところで「ふーん」で終わってしまう可能性は高い。信仰とは見たか見ないかにはたぶん関係ない。信じる人の心の問題だと思う。宗教施設としての東照宮と、美術的観光的施設としての東照宮がこうしてせめぎ合っている。
曇り空で涼しいとはいえ、階段を登ってきたので汗だくだった。竜王峡といい東照宮といい、今日は昇り降りする場面が多い。階段がすべて石で出来ているので、降りるときも慎重に。何人もビデオカメラを持った外人さんとすれ違う。皆さん非常に興味深い様子でレンズを向けていた。
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本殿に上がり係の人のお話を聞く。
曰く、徳川家康公が戦乱の世を終わらせ、それ以降の近世256年間は戦のない世の中となった。これは世界史上ほかに例がなく、東照大権現様は平和の神様として祀られております、とのこと。なるほどそれはその通り。ただし、その平和が破られたきっかけは日本人自らが欲したわけではなく、大砲をぶっ放して脅す某国に開国を迫られたからだ。256年間日本人が平和に過ごす間、世界は大航海時代を経て帝国主義の時代に突入していた。日本はいきなり食うか食われるかの世界へ投げ出されることになった。食われる、とは、言わずもがな列強の植民地になるということだ。実際アジアの多くの国は列強によって植民地化されていた。艦砲外交を得意とする某国は今も昔も全くやり方を変えていない。
この東照宮の建築群は着工からわずか1年半の間に完成されたという。ものすごい突貫工事だと思う。それも幕府の権威を高める効果を果たしたものだろう。
それにしてもなぜ日光だったのか。風水的な意味から江戸の鬼門に東照宮を置いて守る意味があった、とも云われているが、高速道路を使ってぶっ飛ばしても3時間かかる場所である。この場所に建てられたことの意味はなんだったのだろう。
いずれにせよ、現代に至っても各地には各地を代表する観光地があり、その中心に神社仏閣が位置している確率は高い。
係の人のお話は本殿の中の装飾や彩色に使われている岩絵の具へと進み、ほんの少し修理するだけで2万円くらい費用がかかることなどが説明される。最後にお守り販売の宣伝があって話しは終わった。
陽明門から出て本地堂(薬師堂)へ進む。ここの天井は鳴龍で知られる。神仏習合の結果、鳥居をくぐった境内の中にお寺も入る。中には神将像が並ぶ。鳴龍最初の絵は薬師堂とともに焼失したため、堅山南風が復原した二代目。説明する方が打つ拍子木が天井と床で共鳴して”鈴のような鳴き声”に聴こえる。ここでも最後にお守り販売の宣伝があって話しは終わった。
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境内は飲食禁止。ちょうどお昼時に入ってしまい、娘はお腹減ったとなんども訴えていた。全部拝観終わり、参道を降りて先ほどクルマを停めた土産物屋の2階で昼飯を食べることにした。思っていたよりも東照宮が禁欲的な場所で、土産物は売るが食べ物は一切売っていなかった。
湯葉を使った定食が手ごろ価格だったので女房とワタシはそれを頼む。息子はカツカレー。娘はハンバーグライス。食べ終わって土産物を見てから14:30に帰路についた。
渋滞を恐れていた。羽生PAで休憩を取り、インフォメーションを見た。するとこの先で事故渋滞があり、通過に2時間掛かるとある(^^; 最悪だ。冷静になってパネルを見ると、外環道で池袋線に入って迂回すればそれほどの渋滞はない、とわかった。すぐに出発する。善は急げ。
高速道から首都高へ入ってその道のギャップに驚く。まず路肩がない。道が狭くてルートが右へ左へグニャグニャと振れた。高低差も尋常とはいえないほどだと思う。確かにこれで事故が起こらないほうが不思議だ。地下の本で有名な三宅坂付近も通過する。自分の運転するクルマで通過することはほとんどないから、かなり新鮮な気持ちがした。地下で新宿への分岐がある。これは世界の道路の常識では考えられない構造と言われている。まず初めにトンネルがあった、と思えば不自然さはないが。
ほとんど渋滞もなく目黒線へと抜けた。あとはガラガラ。中原街道もすいていた。いつもの道だった。丸子橋手前の和食ファミレスで高い夕食を摂り、店に戻った。19時を少し過ぎていた。お疲れ様。
子どもたちは寝るだけだが、女房は旅行の後片付けに、ワタシは仕事に追われた・・・(^^;。旅行もいいけどコレが大変なんですよ。
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2006-08-21 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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