「名取洋之助と日本工房」展


戦前、写真家名取洋之助が中心となり、土門拳や亀倉雄策、山名文夫らが集まった日本工房。ここから発行されたグラフ誌「NIPPON」について、海外向けの編集であったこともあり、あまりその存在自体知られていないという。今回、近所の川崎市民ミュージアムにて展覧会があると知り、出かけた。
店から歩いて15分ほどで等々力緑地に到着する。その一番奥にミュージアムはある。森山大道「光の狩人」展もここで行われた。中に入ってみると、観客はほとんど居なかった。ゆっくり見ることができた。
戦前期の日本は欧米ではほとんどその存在が知られておらず、その情報が求められていた。そんな状況を知った名取洋之助は1934年「NIPPON」を創刊する。スタッフカメラマンとしてまだ駆け出しの土門拳が居り、若々しく日本の特性を良くあらわす写真を撮影している。
師匠の名取に作品をダメ出し(その場で破り捨てられるという厳しいもの)されて暗室で悔し泣きしたことや、伊豆で撮影した写真を名取に「傑作だ」と絶賛されたエピソードが紹介される。
報道写真誌としての性格も持ちながら、「NIPPON」はそのグラフィカルな編集方法も際立っていた。近年復刻され、その表紙がすべてズラリと展示されていたのだが、写真とグラフィックの融合が図られていて、デザインセンスは素晴らしい。
当時撮影に使用されたカメラはローライフレックスとライカだった。普通はスピードグラフィックなど、もっと大型のカメラを使用するのが大勢だった当時において、ライカの使用は撮影できる領域を広げる効果をもたらした。
海外向けの内容だったこともあり、日本の当時の様子が庶民の生活レベルから工業活動などの様子や軍隊の有様まで撮影されており、これは今にしてみれば貴重な戦前の日本の記録となっている。写っている日本人の表情が皆明るいのが印象的だ。
戦争が進んだことにより、「NIPPON」は1944年に発行した36号を最後に出なくなる。そのまま終戦となり、日本工房は解散する。終戦後、名取洋之助は「週刊サン・ニュース」の発行と、岩波写真文庫の編集に携わり、戦後活躍する若手写真家を育てた。なかなか見ごたえのある展示で、全て見終わってからもう一度会場を巡った。やはり観客は数えるほどしか居なかった。
図録を求めてから食堂で日替わりランチを食べ、歩いていったん店に戻った。汗を拭いて着替えてから再び出かけた。「ゲド戦記」を見に行くためだった。
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2006-08-06 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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