まるで1日店


朝から少し涼しい。立秋を過ぎてちゃんと秋が立ったのだろうか。
昨夜落札していただいた本を鋭意荷造り。朝飯を食べたあとも仕事を継続。ふと甲子園大会中だったことを思い出し、ラジオをつけた。やっていた。聞きながら仕事することにした。音楽を聴いているときよりも仕事がはかどる気がした。
昨日の試合ではこの間不祥事で大会直前に出場辞退した高校の代わりに出てきたチームの試合が行われていた。変な意味で注目を浴びてしまい気の毒だと思ったが、ラジオでもネットでも必ず枕詞として「不祥事で」と紹介されている。いい迷惑だろうなぁ・・・。彼らには何の罪もないんだよ。
報道ってのも難しいんだろうなぁ、と思うのはこんなときだ。知らず知らずのうちにそういう報道されたときの情報によってキャラ付けされてしまう。今回の郵政の話だって、本会議で反対票を投じた人を「造反組」と報道することでイメージ付けしているし。「造反組」と書かれてしまえば反対をした人たちにはネガティブな印象が定着し、何を主張してもちゃんと聞いてもらえなくなる、ような気がする。
民営化をすればすべてが解決に向かっていくような放送が一部に見られたが、それは明らかにミスリードだ。ましてまだ公示されていないが今度の選挙の主要争点になるであろう問題を軽々しく評価してはいけないだろう。もちろんワタシの意見だってただの一見解に過ぎないけれど。解散からこっち新聞などで目に付く報道を見ているが、法案の内容を検討してから起こしている記事は全く見られない。代わりに頻出するのが「対立候補」「造反組」というレッテルだ。書いている記者も郵政民営化のことがきっと全然分からないのだろう。議員にも分からない、報道する側にも理解できない。政治の話をするとき数の話しか出来ないこんな状態じゃ今回の総選挙が郵政選挙になるわけがない。一体誰が”どうやって”判断するっていうんだ・・・(^^;。
あるラジオでは原爆体験が被爆地で継承されていないことをさも残念そうに嘆いていた。「こういう状況に危機感を感じます」とまで言っていた。夏になるたびにTVからラジオから新聞から「忘れるな」と責められる様子を見るとワタシはとても気の毒に思うのだが・・・。辛い経験を忘れたいと思うことは罪なのか? もっとも、落とした国の罪は忘れちゃいけないが。
原爆の体験を忘れなければ原爆はこの世から消えてくれるのだろうか。否、今の世界の枠組みを考えればそれはあり得ない。むしろ原爆体験の悲惨さは核を保持することによって生じる”核抑止力”の説得力を強力に裏打ちする。
・・・辛い経験ほど早く忘れたいのは誰だって同じなんじゃないですか?
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2005-08-11 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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