木村伊兵衛賞の30年


川崎市民ミュージアムでは「木村伊兵衛賞の30年」展が開催中だった。
実はその展示を見たくて多摩川散歩に同意したのだった。木村伊兵衛賞といえばHIROMIX、瀬戸正人、ホンマタカシ、小林のりお、大西みつぐ、今道子、武田花、三好和義、北嶋敬三、倉田精二、藤原新也、北井一夫氏など超有名写真家が受賞した賞としても有名だ。その30年の軌跡が一度に見ることが出来るというので期待していたのだった。
当然子どもたちは見るとは言わなかった。近くの遊具で遊んでいるといって散開した。ワタシ一人で入場した。
結構見ている人は多く、特にカメラを首から下げた若い人が沢山居た。カメラマン志望だろうか。ワタシはとっくにそういうトンがった気持ちは磨り減っていたので、そういう会場に意味もなくカメラを露出したまま持ち込むことはしない。そもそもカメラはこれ見よがしに見せるものではない。必要なときにサッと取り出してパッと撮影し、あとは何事も無かったようにシャッと仕舞うのが本当のカメラの使い方だ。一眼レフを常時首から下げていては本当の写真は撮れない(キッパリ)。
そうは思ったものの、展示を見始めるとちょっと想いは微妙に変化した。「木村伊兵衛賞」というから伊兵衛さんの撮影スタイルを範にとった写真家の作品が並んでいるかと思いきや、まるっきり作風がバラバラなのだ。対比の意味でもないだろうが、木村伊兵衛氏の作品も展示されており、見れば見るほど木村伊兵衛作品とは全然違う作風の写真ばかりのように思えた。
ライカを自分の視神経の延長のように使いこなした真のプロフェッショナルが伊兵衛氏だとしても、現代ではカメラを自由に使いこなすために技術など全く必要が無くなっていた。
木村伊兵衛賞とは「写真の芥川賞」と説明にある。そういう定義なら有なのかもしれない。伊兵衛さんのスナップ無勝手流の極意とは全く作風の違う作品もズラリと並んでいたが、それは写真家にとっての新人賞受賞作品である。量を見ているうちに徐々にその真意がわかってきた。
これはワタシの印象に過ぎないが、60年代から70年代の写真には社会性のようなものが写真には織り込まれていた。第一回受賞の北井氏の作品にはその匂いがする。ところが90年代から世紀を跨ぐ頃、写真から社会性(のようなもの)がスッポリと抜け落ちて、より”個人”へと写真的関心が移行している気がした。その作風は、HIROMIX、長島有里枝、蜷川実花に代表される。写真世界は内なる宇宙へとベクトルを向けたのだ。
いい悪いの話ではない。写真は社会の反映だ。社会的現象からよりパーソナルなものへと世の中の関心が移っていった様子が木村伊兵衛賞からも見て取れるのだ。それはとても意味深い事だと思う。
”グローバル化”と云われ、一見世界へと関心が広がるかと思いきや、実際には個人レベルの関心はより内面へ内面へと向かっている。そんな両極端な複雑さを内包した現代に於いて、写真表現はこれからどんな方向へと向かって進んでいくのだろうか。木村伊兵衛賞受賞作からはそんな方向性を見失った現代が透けて見えた。
30年。この年月の重みを味わった午後だった。20050515223449.jpg

2005-05-15 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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