三渓園


明日仕事なので今日休み。三渓園へ梅を見に行くことにした。
10時過ぎに隣駅にある市民ギャラリー。息子が学校で書いた版画が展示されているというので出かけた。ウチと同じ理由で訪れたちょうどワタシたちと同年代の方々で会場は混雑していた。展示作品を見て驚いた。みんな表現がうまいなぁ。息子の作品よりもずっといい作品が沢山あった。描きたいものを紙の大きさいっぱいに大きく堂々と捉えるのがいい作品への近道だと教えられた。芸術は小手先のテクニックだけでは続かない。
駅から特急に乗って横浜駅。MM線開通でなんと地下3階に駅がある(^^;。大変な改悪だ。改札を出ると大勢の駅員さんが大声でビラを撒きながら人を誘導している。馴れるまでの辛抱?そんなお客に甘えた態度でいいのかしら(^^;?ホームからJRの改札がある広い通路に出るまで3回くらいエスカレーターを上る必要があった。乗り換えをしにくくしてMM線利用を促進させ、JRへ客が流れるのを物理的に阻止する作戦か、と直感で思った。とにかく不便の一言。
東口の百貨店で弁当を買って、東口バスターミナルからバスに乗り40分かけて本牧へ。三渓園はバス停から3分ほどの距離にあった。
娘を連れてきたのは初めてだから、実に5年ぶりか。駐車場は満車の表示だけど意外に入れ替わりが早く、10分も待てば入れる様子。入場料は500円と一気に倍に引き上げられていたが、いままで有料だった内苑にも自由に入れるようになっていた。入ってすぐの池の前で弁当を広げる。横浜といえばシウマイだ。
三渓園は生糸商から実業家となった原三渓氏の私邸だった場所で、重要文化財が10棟もある庭園。園内には有名な臥竜梅をはじめ、各地から移植された梅が多い。その沿革は三渓園のホームページに詳しい。
重要文化財を一覧して、白川郷から移築された合掌造りの家の中に入る。なんとも懐かしい畳の広間と土間に囲炉裏。この建物はダム建設で水没を逃れる為、昭和35年ここに移築されたと記述がある。我々の生まれるホンの少し前まで日本人はこういう生活をしていたんだなぁと感想。展示されている道具を見ると、当時は質素だけど力強い、無駄のない生活のような気がした。
帰りも延々横浜駅までバス。山下公園・中華街のあたりが大渋滞で、時間は余計余計にかかる。意地になってMM線に乗らない(^^;。桜木町駅と高島町駅の閉鎖されている様子が車窓から見えた。
横浜駅東口にある百貨店へ。入り口に人だかり。ああ。そうか。今日は14日だった。いまさらバレンタインでもないだろうけど、この時期に出るウマいチョコを求めての人たち、といったところかしらん。迫力の彼女たちをかき分けて8階のおもちゃ売り場へ。子供たちを女房が見てくれている間に別フロアを逍遥。仕事用に使っているテーブルの上がごちゃごちゃしていて整理が付かないのだが、それを一気に解決する一品を見つける(^^)。一度破綻したためか、別百貨店系列の雑貨ブランドがテナントとして入っており、かなり混雑していた。
子供たちはおもちゃ売り場が大好きだが、不思議と「買って買って!」とダダをこねることがないなぁ。聞き分けがいいのか、醒めているのか(^^;。単純に買ってまで手元に置きたいと思えるおもちゃがないのか・・・。家庭用TVゲームの登場・普及によっておもちゃ発展の歴史は大きく狂ったような気がする。おもちゃが狂ったということは、子供たちの遊びも狂ったということだ。PSの罪は大きいよー。
17時を過ぎたので、最上階にあるガラガラの食堂街で夕食。窓際に座れて外の風景を眺める。女房は和食膳。息子はオムライスシチュー。娘はお約束のお子様ランチ。ワタシはパスタとドリアのセットを頼んだ。娘のセットにはおもちゃが付いていて、娘はいかにもプラスチックで出来たイヤリングと指輪を選んでいた。キラキラするカワイイものが好きみたいだ(^^;。女の子だねぇ・・・。
窓の外は夕暮れの横浜駅。駅の向こう側にあるでっかいホテルの窓から漏れる灯りが明滅した。
ワタシが店に戻ったばかりの確か9年ほど前、この百貨店で年末に開催される古書展へオヤジと二人で来たことがあった。猟書が終わった後にこの食堂で昼飯を食べたんだっけか。何を食べたのかは少しも記憶にないが、オヤジが今よりも”古書展に出かけたいと思えるだけ”若かったことだけは覚えている。アタリマエか(^^;。その古書展も今は無くなってしまった。
帰りの横浜駅は切符が買えないほどの大行列(^^;。電車に乗ったことのない人がデザインしたんじゃないのか?この駅は(--;。
キレイにすればそれでAOKという簡単なハナシじゃないのだゾ。デザインというものは!

2004-02-14 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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