光の狩人


あの森山大道氏の写真展が川崎に来た。

それも普段からよく遊びに行っている場所だ。行かないわけにはいかない。会期が始まってからはずっとそわそわしていた。今日ようやく行く機会を得た。

等々力緑地内にある川崎市民ミュージアムまで歩いた。到着すると館の入り口には人気がない。ジャグラーがミュージアム前で必死に練習を重ねていた。こんなものかしら?と思いながら入場料800円を支払って中に入ると、人がいっぱい居た。少し安心した。

実は図録を事前に手に入れていた。初期作品から網羅された作品群をすでに”熟読”していたので、会場ではオリジナルの持つ迫力を浴びるつもりで来た。やはり1冊の図録として見るのと会場で見るオリジナルは違う。よほど視野が狭い人でない限り、会場内で自分と同じように作品を眺める人の姿が眼に入る。その方々と微妙に影響されあうのだ。初期作品から「写真よさようなら」の展示場所までで、人が溜まっている場所には決まってキャプションが配されていた。読まずには居られなかったのかもしれない。それほど森山氏の写真は”難しい”。

人は写真を感覚的にとらえることもするが、自分の中になにか共鳴するものがなければそのまま出て行ってしまう。この難解な写真群からなんとか作者の意図を汲み取りたい、という気持ちの発露が”キャプションの前に人が溜まる”現象として現れている。
誰もが氏の写真を気にしていた。それだけの気持ちが込められていた。でもわからない。難しい。見入っている人たちの表情は一様に真剣だった。

氏の写真の最大の魅力はそのトーンにある。別に特別なカメラ・レンズを使っているわけではない。氏は普通に市販されている機材を使用している。ただ、決定的に違うのは暗室内における現像・プリント作業だ。ネガをプリントにする際、焼き込みや覆い焼きを多用することで、ネガだけでは表現し切れなかった絵を見事に印画紙上へ転写する。氏にとってネガは素材に過ぎないのかもしれない。そのときそのときの気持ちが込められて製作されるオリジナルプリントだから、きっと2枚と同じものは出来ないのだろう。

ワタシは個人的に初期の重苦しい写真よりも、大阪や新宿を撮影した最近の写真に惹かれた。会場では全紙(倍全紙?)に引き伸ばされたプリントが数枚掛けられ、図録では再現できない迫力を感じさせてもらった。

もう一度会場をひとまわりしてから出た。

2003-10-12 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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