「千と千尋の神隠し」


で、念願の「千と千尋の神隠し」をやっと見ることが出来た。

思えば長かったなァ。たしかこの映画を製作しているというお話は、2000年中によく掲示板に書き込んで下さった亞季さんからお伺いしたもの。それから2年も経っているとは。
ずっと見たいと思っていたけど、映画館に見にも行けず、空前の大ヒット。見る前からいろいろ良い評判ばかり聞いていた。

湯屋・油屋を中心とした世界観はまずもって見事!その存在する場所が”新興住宅地”のすぐ外れにあるというのも良く考えると深い気がする。疲れを癒しにくる八百万の神々は、もともと長年日本人ととても近い距離で生活していた。見えないながらもその存在をいつも感じていた日本人も、いつしかその存在を忘れてしまい、踏み入れてはいけない場所に開発の手を伸ばしてしまったのだろう。

迷い込んで両親が捕らえられ、ハクの手引きで湯屋で働く事になった千尋。湯婆婆に名前を奪われ、千と名付けられる。本当の名前を忘れるとこの場所からの帰り道さえわからなくなってしまうという。
千の湯屋での活躍。文字通り癒し系という言葉がピタリ。
ある日、ハクが襲われ、死にそうになる。助けようと片道電車に乗り、湯婆婆の姉銭婆のもとへ。思いがけずやさしい銭婆。元気になったハクが迎えに来る。「自分の名前を大事に」と銭婆は千に声を掛けた。ハクの背中に乗りながら、ハクの名前を思い出す千。そのまま話はイッキにもとの世界に戻るまで進んでいく。

決してもともと強くない女の子が、全く馴染みのない世界でドジをしながらも一つ一つ乗り越えて成長していくお話。一行で書くとこうなってしまうけど、ドカ食いする人間を変身させてしまったり、廃棄物で弱った神さまを助けたり、と、完全におとぎの世界の話では片付けない視点がある。

偽坊に気が付かない湯婆婆。元の姿に戻りたがらない坊。そして、心が飢えていたカオナシ。「自分の名前を大事に」というメッセージにワタシは心を動かされた。自分の存在を認めなければ、他人から認められるはずがない。自分の場所は自分で切り開かなくて誰が用意してくれるというのだろう。

また、他人の存在を感じることで、自分の存在を強く感じることが出来る。自分を大事に出来なくて他人とうまくやろうとしても無理な話だ。

人は決して一人で生きていない。この映画の一番深いところに、そんなメッセージが流れている気がした。

2002-07-24 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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