通り過ぎゆくもの


金曜、明古。

三口の要仕分荷。地方荷も40箱ほどと多め。さすがは特選市会だ。

その中の一つが写真の口だった。写真集ではない。写真なのだ。他の仕分けをしていたら、その荷主の方から呼ばれた。すぐに写真集の原稿であることに気が付いた。古びた大きめのなんでもない封筒の中には写真が無造作に突っ込んであった。その4ツ切りプリント群にはすべてトレーシングペーパーがかけられており、ダーマトグラフで「Wトーン」やら「85%」「10ページ」などの指定がされていた。

いろいろと封筒をあれこれ見ているうちに目に止まるものがあった。一瞬背中がゾクッとした。「かげろう写真」。この文字を見たときにはすでにある確信が頭にあった。中の写真を見た。やはりそうだった。森山大道氏の「蜉蝣」の原稿写真だったのだ。またもや明古に「歴史」が出て来た瞬間だった。
ただ、自分の直感をそのまま鵜呑みには出来ない。いろんな方に出版社の筋からも聞いてみた。やはりどうやら間違いない。ただ入札封筒には詳しく書くことは避け、ただ「かげろう写真 10枚」とそのまま書くにとどめた。すでに心臓はバクバクしていた。

荷物はやはり普段より多めだ。会場に満遍なく品物が行き渡った。あの「かげろう写真」は会場の隅の立てかけに置かれていた。いくら入れたらいいだろうか。そのことで午前中から頭が一杯だった。刻々と開札時間は近づいていく。どうしよう。あまりに見当はずれな札は書けない。かといって予想以上の値段で落札してしまったらそれはそれでちょっと困る、などと買う前から要らぬ心配などしたり。

開札途中に10分休憩がある。その間に意を決して入札した。ここまでならなんとかなる。いや、何とかしてみせる。そのギリギリの値段だった。
開札が進んでいく。札を開けたRHくんがこっちを見ている。なんだ、どうしたんだ。駆けつける。結果をみて唖然とした。ワタシの札など寄せ付けぬ強力な札が品物には付いていた。あまりの金額の開きに言葉もなかった。
やはりワタシごときには「歴史」を背負う資格はなかったのだ。
でもどこかでホッとしてもいた。初めから通り過ぎ行く運命だったとしても、「歴史」がワタシに一瞬でもウィンクしてくれたような気持ちになれたからだ。

「市場は宝の山だ」
少し前まではまるで他人事のように聞いていたこの言葉の意味がわかりかけてきたような気がした。

2002-03-30 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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