店番


古本屋には店番が好きな人と嫌いな人がいる、と思う。

お客さまが一杯来てくれる時には店番って楽しいな、と思うが、只見て帰るだけの人ばかりの時は苦痛でさえある(^^;。

最近はインターネットの発達で新刊の情報も古本屋めぐりもパソコンの前で、ということになってきた。クリック一発でお目当ての本が手許に届いてしまう。そんな時代になってもウチが店を続けるのは、本をブツとして考えているからだ。新刊と違って古本は一点一点の状態に開きがある場合もある。売る側の見るコンディションと、買う側が見た状態とでは認識にかなり違いが出るときがある。届いてみてビックリ、という経験を一度でもした人は、発注を慎重にするようになるだろう。

検索、という便利な機能が、電子ブック版辞書あたりから身近になってきた。お目当ての本の題名を入力して検索ボタンを押すと、在庫があればその本の情報と値段がズラっと出てくる。反面、その本だけを見ることになり、近いジャンルの関連図書への視野の広がりを阻むという副作用を生んだ。「ホームページを見て参りました」というお客様がお目当ての本を1冊買われて、そのまま棚を見ずに出て行かれることがしばしばある。インターネットが発達させた検索機能効果の弊害ではないか、と思う。

本の森という言葉があるが、本棚いっぱいに詰まった本の背を見ているとどこかホッとする。それはウチが本屋だからだけではあるまい。この1冊1冊に著者の思索・研究のあとが記されていると思うだけで、この国はまだ発展していける、と信じられる。
近年のスピード時代は、映像で時代を記録しようとしている。だが、映像機械は20世紀に発明された比較的新しい技術だ。それ以前の長い歴史を、人間はずっと文字で記録してきた。その流れは日本人が日本語を使ってコミュニケーションを行おうとする限り、変わらない、はず。

自分の小さい頃が記録されている8mmフィルム。自分の子供を撮影したビデオテープ。将来ワタシの子供はDVDで生まれ来る自分の子供たちを記録するのだろうか。映像はちょうど見たくなる頃には再生する機械が途絶えてしまうものだ。

しかし、文字は変わらない。日本語がある限り、文字で描写して記録した子供たちは、その世界の中で時代を超えていつまでも生き続ける。

本を読むことは歴史をつなぐ事でもあるんじゃないかしら。ガランとした店内で一人愚考する。

2002-03-12 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

関連記事