将来


月曜日の荷物を出品しに中企センターへ。

行き帰りはさして渋滞も無かったが、道路工事がやたらと目に付いた。そうか、もう3月だものね。この時期は何故か道路工事が目立つ。何らかの”事情”があるのだろう(^^;。

道中、昨日の勉強会のことがアタマの中をグルグル回っていた。古本屋はこれから何を扱うべきか。電子出版の出現は本という定義を変えてしまいかねないだけに、かなり重い命題だった。

店に戻ってからオヤジに問うてみた。本はテキストなのかモノなのか。母親にも聞いてみた。答えは同じだった。モノなのだ。古本屋一筋40年の人間の結論は”本はモノ”。
別に影響されたわけでもないが、ワタシにも本はテキストである前にモノとして立ち上がっている、という感覚がある。見て良し、読んで良しのモノ。グッヅとしての存在。

好きな映画のひとつに「アマデウス」がある。好きなシーンなのだが、この中でサリエリはモーツァルトが書いたスコアを盗み見する。ひとつひとつ違うスコアを広げるたびに違う音楽が奏でられる。サリエリはそのひとつひとつに神を見、自分に”創る”才能を与えなかった神を恨んだ。
本はグッヅである。その装丁だけでも充分に楽しめるが、ページを開けばそのテキストが自分の全く知らなかった世界へ連れて行ってくれる。パソコンの電源を入れなくても、インターネットに繋げなくても、見たいときに見たいページがすぐに広げられるパッケージが本というカタチだ。
このTV時代にあって、未だに本が文化(カルチャー)としてあり、漫画やTV・映画などがサブカルチャーと言われるのはどうしてか。答えがわかっているわけじゃない。どうしてか、と考えたいのだ。

今日もインターネットでご注文を頂く。たまに本の到着をお知らせしてくださる方もいる。「新品同様って説明してもらったけど、新品じゃないですか!とてもうれしいです」なんて書いて下さる方もいらっしゃり、本はテキストだけの存在ではないのだ、と思う。

何がこれからは良くて、何がこれからはダメになる、という話はこれからの流れ如何によって揺れ動くように思う。ハッキリ言ってしまえば、ワタシごときにゃわかりません(^^;。

結局、回りまわって自分が面白いと思えるものを信じて続けていくしかない。そうでなければまず続かない。自分に正直であることが何より大事なのではないか。今はそう考えることにした。

2002-03-02 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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