芸術とは


金曜、明古。

大市で一週あいた為出品量が多いかと思いきや、点数で500あまり。16時過ぎには作業が終了してしまった。

そんな中、明古会長さんからのご提案で、作業終了後に竹橋際の東京国立近代美術館へ行くことにした。夕闇迫る黄昏時、経営員9人で「未完の世紀-20世紀美術がのこすもの」を観覧した。

この企画展は、20世紀(1900年から1999年の間)に生まれた美術の流れを、実際に作品を概観することで掴もうというもの。この100年間で美術がどう変化していったかがよくわかる構成だ。

ワタシには詳しい美術的用語はわからない。フォービズムもキュビズムもどんな形式なのかよく知らない。ただ、明治の終りから大正あたりまでは、実物をモチーフにした作品が多かったように思う。重要文化財として黒田清輝「湖畔」がアクリルケースに守られて展示されていた。この作品が明治期の代表としてみると、その後にヨーロッパからアヴァンギャルド芸術が入ってきて傾向がガラリと変わってくる。高村光太郎が前衛的集団ヒュウザン会を結成し、関東大震災が東京を破壊すると、普遍的な美の基準を拒み、状況に関わるなかで矛盾の相克から新たなものを求める新興芸術運動が村山知義らによって作り出される。このあたりから作品に抽象的なものが多くなってくる。

戦中に一時中断されたその流れは、作品を見る限り戦後加速する。60年代に入って日本はGNPで世界第5位になる。東京オリンピックが開催され、都市環境の激変や産業化の進展。交通、通信、情報手段の高度化などを背景に、文字・記号・写真映像などが作品に取り入れられていく。美術の抽象化も加速していく。

昨日は荒れ・ブレ写真で有名な「森山大道とその周辺」という特別講義が開かれていた。1階の広大な展示室にはでかいパネルに抽象化された”色が塗りたくられただけにしか見えない”作品が多数展示されていた。100年で美術は”絵”から”パフォーマンス”へと変化してしまったような印象を持った。

20世紀初頭の展示コーナーではじっくりと立ち止まって作品に見入る人が数多かったが、最後の”色が塗りたくられた”作品のコーナーには見入る人は皆無。美術は本当に正しいベクトルへ進化したのだろうか?と心配になった。美術は写実から抽象へ”進んだ”とされているが、観客の反応はそれを拒否していたような気がしてならなかった。

勉強になった。

2002-02-23 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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