寒い日


昨日は高崎を一日で往復するという経験をした。

普段なら考えられないことだ。そういう意味では昨日は非日常が顔を出した日だったと言えなくもない。いや、非日常そのものだったのだろう。普段なら電車に6時間も乗っている事はないし、文庫本を1日で1冊読み切ることもない。
普段なにげなく顔をあわせていた方が不意にお亡くなりになる。それによって生じる様々な事象から我々はいろいろな示唆を得る。

「大きくなりましたね」お知り合いの方がウチの子供たちにおっしゃる言葉。それを聞いてワタシの母親は「なんだかもう追い立てられるようで・・・」と笑いながら言う。子供が大きくなるだけ時間が経過したということは、それだけ我々は歳を取ったということになる。

そんなのアタリマエだろ、と言ったら話はそれまでだ。

経過した時間を振り返る余裕さえない毎日。前を見るのが怖くて後ろばかり見て過ごす毎日。どうやって過ごしても時間は等しく過ぎ去ってゆく。
ひたひたと、終点は、毎日、少しづつだが、確実に、近づいてくる。

この動かしがたい現実をどう受け止めるかによって”日常”が決まってくる。毎日の過ごし方、それはそれぞれの人格の反映に他ならない。イイワケはきかない。

「仕事」とは「事」に「仕える」と書く。
先日あるご同業の方と話していてこの言葉の意味を考えてしまった。この方は自分の仕事を子供に継がせるつもりでしていない、とおっしゃった。
ワタシは甘露書房という名前を継ごうとしている身だ。ワタシの子供が継ぐと言っても言わなくても「継いでみたい」と思えるような店にしておきたいとは思っている。
オヤジたちと交代で休むことで年中無休体制を取り、店の信用を高めようと気を使っています、と話したら「看板を守ろうって意識が強いんですね」と指摘された。ハッとした。事に仕えている自分を見た。

いや、店を休まない程度のことでは、言うほどの努力ではないのだろうな(^^;。だが、初代、二代目と守ってきた店の重みはひしひしと感じている。それくらいの感覚はワタシごときにも備わっている。事に仕える自分の生き方。

毎週市場でお会いするご同業の方々。それぞれ背負っていらっしゃる事情はまるで違う、はず。共通するのは本の傍で生きている、ということと、毎日ワタシと同じだけ歳を重ねられている、ということ。

人間の時間には限りがある。だから輝いて見えるのだろう。

2002-02-05 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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