目黒線


長い間工事をしているなぁ、一生工事続けるのかなぁ、と思っていた東横線の複々線化は、いつのまにか完了し、昨日から目黒線を介して都営三田線と営団南北線が新丸子まで来るようになった。これで三田線の通る第二の故郷・神保町とわが街新丸子が直通し、乗り換えなしで行き来出来るようになった。革命的な出来事に驚いているのだが、目黒線の三田線経由の電車は約15分に1本しかなく、運賃は片道450円と70円高い。また、途中駅の目黒には魅力的な店がないので、ちょっと使いづらい。結局は渋谷経由の半蔵門線で行く神保町生活が続きそうだ。

ワタシの古本屋生活には一見直接関係ない今回の革命だが、実際にはボディブローのように着実にこの新丸子を変えていくだろう。今回の乗り入れで、大手町が、白金が、麻布十番が、永田町が新丸子まで直接繋がったのである。「東京」がその勢力範囲を多摩川のこちら側まで広げたとも言える。

それがどのような形を伴って我々の前に現れるのか。ここに長く住んでいる人間ならば街の変わりようを皆知っている。そう、東京資本の背の高いマンションが次々に立ち並んだのである。東京から人口の爆発的な流入が始まり、終電で新丸子に下りる人間はもの凄い数となった。駅前のT急ストアは店舗を拡張し、コンビニはその数を増やし続けている。元からある商店街は東京資本のスーパー、コンビニに今にも押しこめられそうだ。押し込められた店は、潰されてきっとマンションに建て変わる。

街が東京に飲み込まれそうになっているのだ。それが良いことなのか悪いことなのかを考えているうちに、駅前は放置自転車であふれかえるようになった。

15年ぶりに新丸子に降りた、というお客様が言った。「新丸子も随分変わりましたね。」確かにそのとおり。15年前には複々線はおろか、高架線にもなっていなかった。武蔵小杉から坂を駆け下り、多摩川鉄橋へ向けて坂を駆け上っていくように線路を引いていた。駅舎も木造で臭い公衆便所がある昔ながらの田舎の駅という風情だったのだ。目黒線の開通は、これからも待ったなしで新丸子を東京のベットタウンへと改造し続けるのだろう。

我々原住民の想いとは全く関係なく・・・。

2000-09-27 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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